3.対南政治工作の実態

ア.地下党工作

 1990年代初盤に入り、金正日は、「以前のような非合法地下党組織を基盤にする工作方針・戦術では上手く行かず、これを後押しするための組織的力を造成する問題が重要である。最も重要な方針は、地下党内に3個側を形成し、3個伏線を形成する問題」だと協調した。

 金正日が協調した「3個側形成と3個伏線布置」方針は、
 

  1. 既に造成された統一革命党・韓民戦組織の強化

  2. 南朝鮮労働党組織を新たに組織布置

  3. 合法的な政治闘争空間や大衆集結が求心体に合法的な看板を掲げた中間革新政党を組織

しなければならないことである。

 即ち、この組織方針は、既存に北朝鮮が浸透させた非合法統革党組織を根幹とし、これとは別個の組織体系・組織名を備える南朝鮮労働党組織を韓国内に非合法的に新たにまとめ、合法的政治空間に中間革新政党を組織することによって、対南工作の組織的根拠地を拡大するという大胆な発想を根拠にしたものである。

1)韓民戦指導核心化工作

 北朝鮮は、日本関東地域の在日工作指導部拠点責任者ソ・スンテクをして、彼の同窓生である某銀行幹部と同業形式で1989年12月、韓国ケラモスという偽装業体を設立し、合法活動の拠点を作らせる等、政治権上層部を対象にした本格的政治工作を推進した。

 彼は、一党と共に、90年初め、逮捕され、ソの地下党構築及び高級政治情報収集と政治権上層部を対象にした政治工作が韓民戦を指導核心化するため、弱点を作ることにしたものである。

 これは、北朝鮮が韓国内で、「救国の声」放送を行う自生組織として宣伝してきた韓民戦を実体化し、これを指導核心化するための工作として、このような工作企図は、南韓朝鮮労働党中部地域党の一部活動を通しても再確認された。

 即ち、同江原道党組織建設責任者崔ホギョンは、主思派核心200余名で結成された1995年、委員会を中部地域党の下部組織に吸収、北朝鮮の指令により自生組織に偽装した。

 そして、中部地域党各級地下組織建設工作を担当した黄仁五は、1995年、委員会を精鋭化・簡潔化・秘密化せよという北朝鮮の指令に従い、これを愛国同盟に改編した後、この組織が韓民戦の隷下組織であるように偽装・宣伝することによって、韓民戦の実体化を目論む等、韓民戦指導核心化工作を幇助した。

2)南韓朝鮮労働党中部地域党組織工作

ア)黄仁五、李善実の中部地域党組織のための核心骨幹包摂工作

 北朝鮮は、入閣して韓国内の自生的主思派前衛分子を指導的核心とした新しい地下党組織形態である朝鮮労働党南韓中部地域党組織建設工作を展開するため、李善実・林某等の長官級工作員を大規模南派した。

 韓国現地北朝鮮工作指導部総責任者李善実は、労働党政治局候補委員・最高人民会議代議員・韓民戦副委員長等として活動する北朝鮮権力序列22位の最高級工作員である。

 1980年初め、朝総連母国訪問を仮装して、韓国に潜入した李善実は、仮名で合法身分を獲得し、1992年、江華島を通して復帰するときまで10余年間、韓国全域と北朝鮮・日本等を自由に往来して暗躍した。

 李善実は、金洛中一党の工作指導職である長官級任某・崔某・李某等と黄仁五一党の工作上部線である権ジュンヒョン、金東植、そして孫炳善の上部線である金東植等の直派された工作員10余名を初めとし、国内に潜入して暗躍していた地域別・部門別工作員達を総括した工作指導部を構築し、対南現地工作を総指揮した。

 李善実は、独立運動家、済州4.3事件犠牲者遺族、統革党事件関連者家族等として自分を紹介し、その間、苦労して稼いだ財産を祖国統一事業と民主化運動に使って欲しいとの名分を立て、各合法的団体に関与した。

 彼女は、1990年初めから、進歩政党を標榜した民衆党創党にも深く介入し、拘束者家族の姿である民主化実践家族運動協議会(民家協)を数回出入りし、関連者を包摂する等、民家協と民衆党を活動基盤にすることも行った。

 彼女は、1980年、サボク炭坑騒擾事態の主導者として自生的主思派前衛分子となった黄仁五を包摂対象に物色、民家協副会長であった黄仁五の母を通して、黄に接近した後、1990年9月、直接黄仁五を帯同入北した。

 北朝鮮対南工作指導部は、黄に地下党の新しい組織形態である朝鮮労働党中部地域党組織建設に対する工作任務を付与し、彼を責任秘書にする江原と忠清南北道等、中部地域内各級地下組織建設工作を担当させた。

 先ず、黄は、工作において最大限の安定線を保障するために、先ず家族を主体化・革命化し、革命工作の核心に引き込むか、積極的支援者・同伴者を包摂して、活動を始めた。

 ソウル大主思派地下組織の救国学生連盟の核心として活動したことがある弟の黄仁郁を包摂、北朝鮮労働党に現地入党させ、特殊秘密党員候補(テドゥン山21号)を付与した。

 そして、黄は、北朝鮮の指令通りに中部地域各級党組織建設のため、先ず自分と一緒に活動していた主思派核心分子12名(前民衆党ソン・ナムウル、労働委員長崔ホギョン、建国大愛国学生闘争連盟首謀者ウン・ジェヒョン等)を選別的に包摂、同事実を北に報告、承認を受け、朝鮮労働党特殊秘密党員に入党させ、彼らを中部地域各級党組織建設の責任骨幹とした。

イ)朝鮮労働党中部地域党の組織と隷下組織の構成

 黄仁五は、包摂された核心骨幹を中心に南韓朝鮮労働党中部地域党組織をまとめ、これを基礎として、1991年7月末、崔ホギョン、ウン・ジェヒョン、チョン・ギョンス等と共に、党員も参席して、中部地域党組織結成式を行い、北朝鮮労働党綱領をそのまま党の綱領に採択した。

 組織名称は、朝鮮労働党中部地域党とされ、自生的組織であることを標榜するため、対外的名称を民族解放愛国戦線と偽装することに決定した。

 一方、中部地域党指導部を組織した彼らは、参加に各道級党組織を建設、各道党組織建設指導責任者に江原道党崔ホギョン、忠清北道党ウン・ジェヒョン、忠清南道党チョン・ギョンスを各々選任した。

 この工作の特徴は、主思派中から責任分子を選抜し、彼らを相互連携させて韓国内の主思派核心を引き込み、中部・両南・京仁地域の組織を結成した点だと言える。

3)革新政党形成工作

 北朝鮮は、1990年代初盤、金洛中を指導部にする民衆党を建設することによって、中間革新政党を制度圏内に確保、これらの影響力を拡大する工作を推進していた。

 1995年6月、臨津江を渡河、自ら入北し、1年間、密封教育を受けたことがある長期埋伏工作員金洛中は、36年間、進歩的知識人、統一至上主義者等に偽装し、大学講師労働運動家等の経歴を持って、統一運動団体・反核運動団体等で活動した。

 北朝鮮対南工作指導部は、金洛中を核に韓国の進歩政治勢力及び在野運動圏を狙った政治工作を展開するため、1990年2月、北朝鮮工作員崔某・李某が直派され、約7ヶ月間、ソウルに潜伏しつつ、金洛中と接線、金を工作総責任者にする地下網構築工作任務を遂行してきた。

 金洛中は、北朝鮮の指令により、1990年11月、民衆党に入り、共同代表に選出され、91年には、金洛中自身が基金を出資した平和統一研究会を設立、進歩的な教授・政治人・弁護士・在野人士等を会員に迎え入れ、広範囲に交流した。

 北朝鮮の指令により、合法的な中間革新政党を目標に出帆した民衆党は、1992年3月14日、総選でただ1つの議席も得られなかったのみならず、得票率も低調で解体されたが、同党創党には、李善実が1990年初めから民衆党創党準備委員会、同創党発起人大会、女性分課委員会等に参席する等、深く関与した。

 しかし、北朝鮮は、民衆党が解体したにもかかわらず、今後の大統領選挙を念頭に置き、大選闘争と新しい革新政党を創党せよとの指令を下した。これにより、金洛中は、新しい革新政党を作るため、旧民衆党幹部80余名と共に、民主改革と社会進歩のための協議会を結成し、顧問に就任した後、検挙されるときまで革新政党創党及び大選闘争方法等を模索した。

 北朝鮮は、4月、革命研究所運営委員長兼反核平和運動連合共同代表人民衆党祖平統委員長孫炳善に2件の指令文件と47回に渡るA-3放送を通して、民衆党が制度圏内合法的な変革運動勢力の別働隊に民衆主体の民主主義指向、連邦制統一政策提示、国民連合を母体に少数野党を網羅した汎民主連合戦線形成、大選時、民主党候補を押し出すこと等を指令した。

 また、民衆党解体後、新しい進歩政党が創党されるとき、在野政治団体である民衆政治会に転換し、全国連合及び民主党内革新勢力と連合しようとする等、組織方案を指令し、党名に労働党という名称を使うこと、綱領は、進歩的民主主義に偽装すること、自生的変革運動戦力であることを刻み込ませること等も指令した。

 以上、朝鮮労働党中部地域党黄仁五、金洛中、孫炳善等3個間諜網は、関連した組織員が400余名に及ぶ最大規模の政治工作であった(1992年摘発)。

イ.統一戦線形成工作

1)汎民族大会・汎民連・汎青学連工作

 北朝鮮は、地下党組織工作と並行して、韓国と海外における親北統一運動勢力及び統一運動をより活性化・組織化させ、これを通して汎民族的な統一戦線体を形成することは勿論、在野統一運動圏との対話を指導する。

 北朝鮮は、80年代末、彼らの統一方案と対南戦略具現の前衛隊として、祖国統一汎民族連合を前に出し、北朝鮮追随者の指導下に運営してきた。即ち、黄ソクヨンがヨーロッパにおいて汎民連代弁人の資格で北朝鮮の指針に従い、汎民連共同事務局と海外本部及び各地域組織体系を構成し、ユン・イサンを海外本部議長に選出、彼を中心に事務局長 林ミンシクと議長団会議等を通して、汎民連の綱領、規約を作成し、事業計画を樹立する等、汎民連が北朝鮮の塩梅で動くように主導的役割を果たした。

 これにより具体化されたことが、正に統一運動形態としての汎民族大会であった。北朝鮮は、1990年8月15日、板門店において汎民族大会を開催すると宣布し、大々的な統一運動を広げることによって、反韓闘争のための統一戦線を形成してきた。

 その具体的実現体として、北朝鮮は、北側・南側・海外に汎民連を組織、3者間の組織的連帯を実現するための工作を展開した。

 汎民連の闘争目標が国家保安法撤廃・米軍撤収等の赤化統一障害要因の除去であり、ユン・キボク、チョン・クムチョル等、北朝鮮労働党統一戦線部幹部及びユン・イサン、クァク・ドンウィ、 林ミンシク等、北朝鮮追随者の主導下に運営されている事実が密入北していた汎民連代弁人黄ソクヨンにより確認されたことがある。

 北朝鮮は、1990年7月、祖国の平和と統一のための汎民族大会北側準備委員会を組織し、汎民族大会推進に力を注ぎ、韓国の全国民族民主運動連合と全国大学生代表者協議会等の在野団体と学生運動圏をして汎民族大会参加と祖国統一促進大行進に呼応するように誘導した。

 北朝鮮は、8月15日の汎民族大会ソウル開催のための実務者の予備会談をソウル・平壌・海外等で進行しようとした。

 また、汎民族大会ソウル開催が不可能となるや、開催場所を平壌と板門店に移し、韓国から密入北した黄ソクヨン等と海外代表を参加させ、汎民族統一運動形態として汎民族大会を開催することにした。

 この大会において、汎民族大会の創設機構として、祖国統一汎民族連合という統一戦線体を構成した。

 1991年1月には、汎民連南側準備委員会が結成され、これが汎民連南側本部に発展し、同年8月15日に第2次汎民族大会が開催され、そして北朝鮮は、全大協が提案した青年学生統一大祝典を同じ時期に開催し、各級社会団体と対南宣伝機構を動員して、親北統一運動の高潮を画策した。

 一方、第2次汎民族大会時には、韓国学生運動組織である全大協の代表として孫ヨンスン、朴ソンフィ2名を密入北させ、白頭・ハンラ大行進隊に合流させた。

 1992年に入ってからは、第3次汎民族大会と一緒に第2次青年学生統一大祝典の開催を推進し、特に韓国の全大協等、学生運動圏と連帯して祖国統一汎民族青年学生連合を結成することに力を注ぎ、汎青学連結成と統一大祝典開催のため、ベルリンで第1次実務会談を開催した。

 北朝鮮は、汎民族大会と「汎青学連」結成を通して、連邦制統一方案と駐韓米軍撤収及び国家保安法撤廃等に対する韓国−海外の支持勢力及び世論拡大を目論む一方、韓国内反政府在野・学生運動勢力と連帯できる合法的な組織的連結環を確保しようとした。

 第3次汎民族大会には、南側代表が不参加のまま、北側と海外同胞代表団が参席した中、「汎青学連」の結成式が進行し、このとき、「汎青学連」は、統一運動の先鋒隊を自任していた。

 1993年第4次汎民族大会がソウルで開催されることに決定されるや、北朝鮮は、大々的な宣伝攻勢に出た。7月末には、汎民族大会南側推進本部がムン・イクファン牧師を大会長に結成式を行い、本格的な準備作業に入った。

 また、大学生運動圏組織である韓総連と汎民連南側本部等は、政府当局と対峙し、北朝鮮は、このような韓国内の世論分裂をそそのかす宣伝煽動に狂奔した。

 しかし、第4次汎民族大会は、南・北・海外同胞3者が各々ソウル・平壌・東京で大会を分散開催するに止まった。

 結局、94年5次汎民族大会以来、「汎民連」、「汎青学連」、「汎民族大会」に対する政府の不法化措置及び国民的情緒から逸脱した北朝鮮同調式統一論議、そして主思派論争等を通して、韓国の汎民連、汎青学連組織が低落する等により統一戦線体としての基盤が揺れている立場に置かれている。

 北朝鮮は、金大中政府が出帆した今年にも、北と南・海外の政党・団体と各界人事が参加する8.15統一大祝典を板門店で開催しようと提議した。

 彼らは、我が政府が8.15統一大祝典を肯定的に受容するや、国家保安法撤廃、安企部解体等の前提条件を提示し、不法団体である汎民連と韓総連の参与保障を前提にする第9次汎民族大会を同じ時期、同じ場所で開催するように主張してきた。

 北朝鮮は、汎民族大会参加問題と関連して、ソウルでの騒擾触発と板門店での煽動等、90年以来、毎年行ってきた統一戦線工作を今年も展開しようとしている。

 しかし今、韓国政府は、北朝鮮のそのような例年的な反韓・反体制、親北統一戦線工作に制動をかけ、そのような行事を漸次民族和解の契機に転換するための能動的対応に出始めた。今後、北朝鮮の汎民族大会、汎民連、汎青学連工作等の統一戦線形成工作は、その反民族的・反平和的企図と策動により、重大な試練期に入ることとなった。

2)密入北、親北活動操縦工作

ア)宗教人密入北、親北化工作

 北朝鮮は、93年10月、「統一戦線部」副部長出身の朝鮮天道協会中央指導委員長チョン・シンヒョク、現委員長ユ・ミヨン等を立て、当時の天道教教領であった呉イクジェを在北家族等を餌に隠密裡に包摂、言論関係を結んでいた総社会的新聞(前天道教教領、平統諮問委員)がある 呉イクジェを97年8月15日の汎民族大会時期に合わせて誘引入北させた。

 呉イクジェの越北動機は、恐らく、最近の数年間、北朝鮮が韓国の有力人事を招請して歓待し、名誉欲を刺激する等、広範囲な影響工作を積極推進したことが起因する。

 オが宗教界の南北交流等にかこつけ、半公開的に対北接触を行いつつ、4年余りに渡り、不純連携関係を結び、隠然と天道教の親北化を企図してきた事実を見ると、北朝鮮は、彼の入北を通して黄長 Y亡命(97年2月)により失墜した金正日政権の威信を回復して、体制内部の結束に利用し、宗教対象統一戦線工作を推進したものだと言える(呉イクジェ越北事件1次発表以後の主要捜査事項:国家安全企画部、97年9月12日)。

 北朝鮮の宗教界対象工作は、韓国人口の半数以上が宗教人であることにより、彼らを包摂、統一戦線を形成しようとする金日成の指示に従い、80年代中盤から大々的な寺院復元と共に、長忠聖堂、鳳水協会、チルゴル協会(92年)を相次いで建設し、虚偽意識により罵倒排斥していた檀君(訳注1)の陵発掘を発表(93年10月)して、平壌が民族の発生地であることを主張し、民族宗教を含めた宗教界を統一戦線の場に引き入れようとする策略である。

 北朝鮮は、最近に入り、このような工作活動と共に、宗教界を経済難打開及び海外交渉窓口として活用することにも尽力している。北朝鮮は、97年9月24日、朝鮮天道協会の中央指導委員会を始めとする宗教界、文芸界等で構成された檀君民族統一協議会(会長:ユ・ミヨン)を発足させ、10月3日、檀君陵において開天節(訳注2)行事を進行し、我々の大倧教(訳注3)を始めとし、民族の源始祖を崇める各界との連係による昔の同族の団結した力により、祖国統一偉業を成就することに寄与しようという手紙を大 倧教安ホサン総天教に発送した(平壌放送、97年10月21日)。

イ)ムン・イクファン密入北、親北活動操縦工作

 全民連顧問ムン・イクファン牧師(当時71歳)は、89年4月、9泊10日間、北朝鮮に滞留し、到着声明、記者会見、金日成との面談、ホ・タムとの共同声明等を通して、反韓、親北活動を行った。

 北朝鮮の指令を受けた在日北朝鮮政治工作員チョン・ギョンモ(「粒の力」発行人)が国内連絡工作員に包摂したユ・ウォンホと謀議、88年9月から緻密な計画下に彼らの密入北を推進してきたことによるものである。

 北朝鮮は、ムンの密入北時、北京まで特別専用機を送り、彼が泊まっている宿所まで金日成が訪ねて、歓送する等、国賓に準じる最高待遇を行った。

 ムンは、北朝鮮の高麗連邦制統一方案に同調する連邦制方式統一方案に合意する共同発表(祖平統委員長ホ・タムと)を行い、鳳水協会復活祭礼拝において、「イエスが死んだか、生きているかは問題ではなく、韓国民衆の復活が問題だ」と主張した。そして、金日成、ホ・タムの指令通りに帰国途中、日本に長期滞留し、「統一は、全てに優先しなければならず、民衆主導で推進しなければならず、金主席は、平和を指向して統一意欲が強い民族主義者である」という等、いわゆる訪北成果と宣伝に力を注いだ。

 ムンのこのような活動を契機に、北朝鮮は、対南宣伝煽動放送、集会開催、20の政党社会団体連合声明、手紙発送、誘引物投入等、各種手段を動員して、対南攻勢を過熱化させ、「ムン・イクファン不当逮捕糾弾朝総連中央大会」を開催し、駐日大韓民国大使館に糾弾葉書及び電報を展開した。

 大韓民国の代表性がない在野人事達を引き込んだ北朝鮮は、ムン・イクファン拘束を前後に、あらかじめ予定していた南北高位当局者予備会談・南北体育会談等を一方的に延期することによって、統一の責任のある推進主体である当局との対話を忌避したものである。

ウ)イム・スギョン密入北親北活動操縦工作

 北朝鮮は、88ソウル・オリンピックの成果的開催を意識し、「第13次世界青年学生祝典」(平壌開催)を対南政治攻勢として最大限活動、統一戦線拡大により我が社会内部を撹乱連係統一を造成させる目的で、金日成父子の直接主管下に彼らの全力量と経済力を投入した。

 北朝鮮は、同祝典の劇的効果を狙い、「全大協」を引き込むため、公開的に「祖平統」、平壌集会朝鮮準備委員会、朝鮮学生委員会、国際学生同盟等と海外工作前衛組織を総動員し、核心主思派であるチョン・ウンチョル 、朴チョンヨル等と連係し、女子大生イム・スギョンを入北させた。

 イム・スギョンは、89年6月30日以後、47日間、北朝鮮の政治・宣伝煽動隊として活動する等、激烈な反国家利敵活動を行い、在米「韓青連」が密派した神父ムン・ギュヒョンと合流、8月15日、板門店で大々的な対南政治宣伝を展開した後、軍事分界線を不法的に越えて南下した。

 平壌集会開幕式時、他の参加者の入場時とは別に、林スギョン入場と同時に金日成父子を始めとする10万の群衆が一斉に起立、拍手と歓声で歓呼し、金日成主催レセプションにおいて金日成が、「統一のために」と乾杯を行う等、最大の歓待を設け、彼女をホ・タム、チョン・クムチョル、ユン・キブク、ヨ・ヨング、呉振宇等、対南工作機構幹部達と面談させることも行った。

 平壌集会とその後の動静を見ると、北朝鮮は、林スギョンを対南政治戦線の操り人形として徹底的に利用、南北朝鮮問題に対する国際的世論を誤らせ、韓国の連係統一戦線拡大と反米統一闘争をそそのかす一方、彼女を内部体制結束と対南赤化統一の意思を固める契機として積極的に活用した( 林スギョン密入北事件捜査結果:国家安全企画部、89年9月8日)。

エ)ファン・ソクヨン密入北、親北活動操縦工作

 89年3月以来、5回に渡る密入北及び7回に渡る金日成接触、そして25万ドルの工作金を受け、北朝鮮の連邦制統一政策に迎合し、「祖国統一汎民族連合」を主導的に結成して、その代弁人の席にあり、国家保安法撤廃の主張と金日成賞賛等の親北行脚を行ったファンの活動は、北労党統一戦線部の緻密な組織的工作の所産であるものであった。

 ファンは、90年8月、滞北中、「統一戦線部」主管下に白頭山で開催された汎民族大会開幕式、平壌市群衆集会、板門店汎民族大会等に南側代表として参加した。

 彼は、「鋼鉄のように団結し、眠ることのない売国奴と外勢を追い出して、90年代内に連邦制統一を達成しよう」と絶叫し、北朝鮮住民が彼を統一英雄と持ち上げる熱烈な歓呼の中で、「板門店からハンラ山まで繰り出す統一大行進を行おう」と煽動する親北行脚を行った。

 91年1月の入北時には、4ヶ月も滞留し、金日成80歳記念回顧録執筆に参与し、日本とドイツで書いた訪北記「人が生きています」を始め、国家保安法撤廃・米軍撤収・連邦制統一の主張と金日成を乙支文徳・李舜臣・世宗大王と比較できる歴史的偉人だと賞賛する等、北朝鮮文化工作員としても活動してきた。

 彼は、92年12月の国連総会参席の名目で渡米したハン・シヘから、「かつて、汎民連は、あまりに赤い帽子をかぶってきたために、組織拡散ができないでいる。今、過去の方式ではできないが、海外各地域の中立性向の僑胞を束ねて押し出すことが至急であり、各地域僑胞及び各社会団体との連帯を強化し、中立を標榜した市民運動協議体の性格の新組織体を作れ」という指示により、93年1月、僑胞2世を親北化するため、工作金で東アジア文化研究所を設立した(ファン・ソクヨン国家保安法違反事件捜査結果:国家安全企画部、93年5月14日)。

ウ.国内左傾組織浸透工作

1)国内左傾勢力連係工作

 「韓総連」の一部学生は、毎年8月になれば、「汎青学連」主催「南北海外青年学生大祝典」行事に参加する名分の下、背嚢旅行を仮装し、ベルリンの「汎青学連共同事務局」を経由して、密入北している。

 95年8月、韓総連代表として密入北したチョン・ミンジュ(仁川大除籍)、李ヘジョン(ソンシム・カトリック大2年)は、「統一大祝典」板門店行事(8月15日)に労働党対南担当秘書金容淳等と一緒に現れ、高麗連邦制統一方案を支持賞賛する対南示威行事を行った。

 また、96年8月に密入北したト・ジョンファ、ユ・セホンは、平壌ホテルで開催された歓迎の宴において、「米帝と現政権の分裂主義戦争政策等に反対する」と演説した後、8月13日〜15日間、平壌と板門店各地で開催された第7次汎民族大会と汎青学連統一大祝典行事に参席した。

 また、北側及び海外代表と金日成の銅像に参拝し、高麗連邦制統一等の共同闘争決議を行ったことがある。

 96年6月、韓国民主青年団体協議会(韓青協)副議長李スンファン等は、ワルシャワにおいて北朝鮮の「統一戦線部」副部長ハン・シヘ等と南北2次会談を行い、「8.15平和統一民族大会」の開催と連邦制統一、国家保安法撤廃等、5項目の共同合意文に署名した。

 そして、汎民連南側本部は、97年4月、北京で開催された汎民連5次共同議長団会議参席が霧散するや、電話・FAX等を通して、北朝鮮及び海外親北団体と交信し、米朝間平和協定締結闘争、連邦制統一基礎下の法的・制度的障害物撤廃闘争、今年度8次汎民族大会開催等、97年度闘争計画を確定したという(国内左翼組織と活動実態、p13:国家安全企画部97年5月)。

 以上、一部の青年学生の積極的な北朝鮮同調活動は、北朝鮮工作指導部による連係工作により、積極的に推進されているのである。

2)国内左傾勢力に対する浸透操縦工作

 左翼学生の頑強な否認より、その間、北朝鮮工作員の韓総連浸透を摘発できなかったが、97年 10月、釜山東亜大「自主隊伍」の活動において、その根拠が捕捉確認された。

 88年、東亜大入学、地下利敵団体組織員として主体思想を信奉しつつ、各種集会や示威に加担し、卒業したペ・ユンジュ、チ・ウンジュ等は、94年3月、語学研修のために日本に行き、朝総連により北労党に加入、主体思想宣伝一群と工作員として、党員精神誓約を行い、工作金を受領した。彼らは、帰国後、95年以来、後輩達に接近、在学生ト・ギョンフン等、5名を労働党に入党させ、ト氏の総学生会長当選に引き続き、運動圏組織の最高上部組織である韓総連幹部にまで進出させた。

 これは、96年12月に国家保安法違反嫌疑により検挙された金某(94年度キョンファ大総学政策委議長)と97年4月に検挙された韓総連祖統政策室長ソン・ゲホに対する所持品と捜査結果等でも、現れたところである。

 そして、韓総連は、汎青学連北側本部である朝鮮学生委が提示した闘争指針を全面使用し、4月28日、韓総連と全南光州地域大学総学生会連合(南総連)等の地域総連別に北朝鮮の市・道学生委と北侵戦争策動中止・米朝平和協定締結・国家保安法撤廃・駐韓米軍撤収闘争等を煽動する共同決議文を採択したことにおいても、彼らの対北連係事実がより明白に現れている。

 また、南韓朝鮮労働党中部地域党組織工作線と連係した愛国同盟が傘下に全委闘争組織として5.1労働同盟、8.28学生同盟(8月28日は、北朝鮮の青年節)、11.11農民同盟(11月11日は、全国農民会総連盟が定めた農民の日)等を結成し、クロ公団等の17ヶ所の工場・事業体に細胞組織を結成して、労働闘争を展開させた。

 以上、北朝鮮の左翼青年学生連係工作と浸透操縦工作の事実は、学園を含む国内各界運動圏内部に北朝鮮工作線が浸透するか、北朝鮮工作線に包摂され、操縦工作により活動する青年学生が相当数いることを示唆するものである。

エ.暴力闘争(殺傷・テロ)工作

 北朝鮮は、いわゆる革命闘争の特殊闘争形態・特殊工作形態という名目で殺人的暴力テロ行為を躊躇することなく、戦略的テロとしては、アウンサン爆弾テロ(83年10月9日)、88ソウル・オリンピック前に行われたKAL機空中爆破(87年11月27日)等が行われており、代表的な戦術的テロとしては、金正日の誕生日前日に行われた金正日の前妻成恵琳の甥である帰順者 李韓永殺害事件を入れることができる。

 同事件は、彼が96年2月にモスクワに滞留している成恵琳一家の亡命説を言論機関に通報して以後、北朝鮮の報復脅威の加えられる状況で発生したものである。調査結果、彼が泊まっていたソウルの家周辺には、南派間諜が数名単位で最大3個組まで出入りしていたことが明らかになってもいる。

訳注1:檀君は、韓国の開国神。檀君紀元は、B.C.2333年を元年とする。
訳注2:韓国の建国記念日。10月3日。
訳注3:檀君を崇拝する韓国固有の宗教。檀君教。

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最終更新日:2003/11/04

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